チョコレートの真実 [DIPシリーズ]
チョコレートの真実 [DIPシリーズ]
アマゾン購入感想
私達には何もできない。そして搾取することもやめられない。チョコレートの原料であるカカオは、
南アフリカのコートジボワールで生産されている。
そこで働いているのは主に10代の子供達であり、
その子供達はチョコレートの存在を知らない。
自分達が汗水たらして収穫しているカカオが
何のために使われているのかを知らないのだ。
カカオ農場ではこうした児童労働が当たり前になっている。
児童達は学校に通う金も生活していく金ももっていないため、
自ら人身売買の世界に足を踏み入れる。
農場では赤道直下の炎天下の中、1日12時間以上働く。
しかし、農場を経営する農民も貧困に喘いでいるため、
子供達はただ働きさせられることも珍しくない。
夜は逃げ出せないように鍵付きの倉庫に閉じ込められ、
不衛生な環境の中、暴力を振るわれることも多々ある。
発展途上国の人々にそのような労働を強制しているのは、
他ならぬ我々先進国の人間だ。
製品の関税を高く、原料の関税を低く設定しているために、
発展途上国は製品を輸出することができず、原料を輸出するしかなくなる。
そのため、製品を製造するという金になる産業は先進国が独占し、
原料を生産するという金にならない産業を発展途上国が引き受けることになる。
そのような産業構造の中、カカオの生産でわずかに得られた利益は、
戦争のための武器調達資金や政治の裏金に使われ、
農場の人々は不安定な国政の中、さらに貧困に喘ぐことになる。
腐敗したカカオ生産社会は、
人身売買や児童の強制労働というあるまじき問題を抱えながらも、
政治や権力でがんじがらめにされ、歪んだ構造を是正できない。
その問題をジャーナリスト達が暴きだそうとすれば、
彼らは政治権力に脅迫され、命まで脅かされる。
実際に殺害されたジャーナリストもいる。
チョコレートの真実は明るみに出ることなく、
今も産業の底辺でその暗い影を落としている。
日本では、学校に向かいながらチョコレートをかじる子供がいるが、
カカオ生産国には、学校にも行けず汗水たらして働かなければならない子供達がいる。
日本人にとって、チョコレートを買う金ははした金だが、
カカオ生産国の人々にとって、その金は3日分の給料にも満たない。
日本人が笑顔でチョコレートを食べるために、
カカオ生産国の人々は顔を歪ませながら肉体労働をしている。
なんと皮肉なことか。
カカオの実を収穫する手とチョコレートに手を伸ばす手の間にある溝は果てしなく深い。
日本国内の格差など一笑に付すほどの格差が世界にはあるのだ。
我々の幸福は不幸な人々を踏みつけることによって得られている。
この現実を肯定するには、感謝などという言葉では生ぬるい。
現実はチョコレートのように甘くはない。
私達には何もできない。搾取することもやめられない。
チョコレートだけの話ではない。
コーヒー、綿花、コショウ、私達が知らないだけで、
私達の身の回りには様々な搾取の結果が存在する。
悲しいけれどそれが現実。
切ないけれどそれが真実。
私達は現実を直視しなければならない。
彼らが直視している現実に比べたら、
遥かに幸福な現実であるはずだから。
遠い世界の話ではない 私たちが普段食べているチョコはどうやって作られているか知っている人はあまりいないと思う。それをこの本は詳しく述べている。
原料のカカオを採るために労働する児童や、さらわれて働かされている児童がいる。働いても働いても給料をもらえない子供達はそれでも働く。そこで生産されたカカオはEU・米国・日本などの先進国に安く輸出される。私たちはそれを知らない。分業化が進んで見えにくくなっていった生産現場を私たちは見て考えなければならない。
力作ですが奴隷制度が未だに存在することを告発する本書。膨大な利益をあげる多国籍企業とその製品原料を作る貧しい国という構図を丁寧な取材で明らかにしていきます。ドラッグや怪しい品物ではなく、スーパーに身近に売っているチョコレートの裏側に隠された真実を暴くには膨大な取材が必要だったのでしょうが、いかんせん個人的には長すぎです。ちょっと最後まで読み通すのが辛かった、というのが正直なところ。
チョコレートだけの問題ではないチョコレートを探していたら、インターネット検索中に「フェアトレード」というキーワードをきっかけに本書にたどり着いた。
本書はチョコレートに焦点をあてて、そのサプライチェーンおよび企業倫理に問題提起をしているが、問題はチョコレートだけではい。ファーストフードの裏側にも全く別の世界がある。(※)
また、これら企業の行動は、食への飽くなき追求を求めてきた我々の行動の裏返しでもあり、自身の欲求と倫理観への決断が求められている。
本書を読んでチョコレートを嫌いなる必要はないと思いますが、そのチョコレートがどのようなもので、それについて我々がどのように振舞うかが大切だと思います。
以前読んだ本(※)の中には、「食べ物を無理やり買わされている人は一人もいない。現状を変える第一歩は、買うのをやめればいい。食べ物に使う1ドル1ドルが、一票にあたる。ある会社から何かを買うとき、私たちは事実上、その会社の考え方や振る舞いに賛成票を投じている」と述べている。
我々は、己の欲求を満たすために成長を急ぐあまり、格差問題を含めあらゆるところでひずみが大きくなってきているような気がしてならない。
国内で問題になっている非正規社員の議論も、社会人の疲弊問題も本質的にはこのチョコレートの真実と同じだと思う。
今後どうなるのか、「21世紀は間違いなく、行き過ぎた企業の力を削減する戦いとなる。市場における効率性と非道徳の間で、如何にバランスをとるか。」(※)、そして我々は一歩を踏み出すことができるのか。
また、成長を急いで我々はどこに向かうのか、その先に何があるのだろうか、フェアトレードチョコレートを食べながらそんなことを考えさせられました。
(※)引用書籍
「ファーストフードが世界を食い尽くす」、「おいしいハンバーガーのこわいはなし」(共にエリック・シュローサー著)
格差、貧困の上に成り立つ甘いお菓子原題 BITTER CHOCOLATE, investigating the dardk side of world's most seductive sweet (2006)
自分の無知ぶりを痛感する。チョコレートを口にしたことがないカカオ農場の児童労働者あるいは児童奴隷の歴史。
カカオの歴史から始まり、チョコレートにまつわるあまりに悲しいそして金まみれな胡散臭い人々と現在のカカオ主生産国の実態、フェアートレードと多国籍企業などなど。命がけの取材を通して(何人かのジャーナリストは行方不明になっている)見えてくる歪んだ食文化の一端。
我々が食べる甘いチョコレートから生まれる利益は殆ど農場で働いている子供達や農場主には回っていかない。その利益はブローカーであったり、政府関係者であったり道路検問での警察官であったりする。そしてチョコレートを製造する企業は確実に儲けを生み出しているのである。
果たしてそんな状況の中でチョコレートを食べ続ける事が許されるのだろうか。市場経済と言う枠組みの中で教育を受ける環境も無く日々重労働にあえぐ人々に上にチョコレート産業が成り立っている部分があることは明らかである。もちろん他の食文化もある意味同じ文脈が当てはまるのだろう。
カカオと言う豆が格差や貧困を生み出している元凶なのかもしれない。
先物取引価格ではなく、生産者の生活を守る価格で購入するフェアトレードコーヒー。
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